日々の記録

最悪な家庭環境からの家出。うつ病と診断されてからの職場とのトラブル、自己破産、生活保護を受ける事になった価値のない人間の日記。

続き。


それから5年生になるまで地獄の日々でした………


学校では貶され、家では父に殴られる。最悪な日々でした。


クラスメートは私を含め8人。一人だけイジメなんて良くないと思ってくれる子が居ました。私はその子に教室、2階だけど飛んだら死ねるかな?と言った事もありました。

イジメはクラスメートだけではありませんでした。5年生の上の人達にもシカトされたり、酷いものでした。

幸いにも先生達は優しく、よくイジメでのことを相談していました。

5年生になってからは何故か(笑)イジメがなくなって学校では普通に過ごせました。ようやくみんなと仲良くなれた5年生の終わり、またも親の都合で転校することになってしまいました。


またイジメがあるんじゃないか……と思ってましたが、なんとか乗り切り卒業しました。


しかし中学はまた親の都合で、小学校の友達とは別れてしまいました。

誰自分を知らない学校で、またイジメられたら…という不安と父の暴力にびくびくしながら過ごす事になったのです。


イジメはありました。でも、友達がいました。


幸いにも友達が出来たので良かったのですが、この頃の私はイジメよりも家庭環境に苦しみました。


家に帰ると、食事がありません。


中学生になったので給食などなく、お昼ご飯もない状態でした。


そして親が帰ってくるまでご飯を待つと、なんでこんな時間まで起きてるんだ!と怒られました。中学1年生のときは親がまるで私の事を考えてくれていなかった。


中学2年生になった時、親が弁当屋のチェーン店を経営していて、それを学校が終わった後、土日全てを、手伝わされる事になったのです。

地獄でした。私のミスじゃなくアルバイトのミスを私に指摘し、怒られました。ただ救いだったのは働いたらその日の夜にお小遣いをくれるようになったのです。おかげで、2年生からはお昼ご飯をコンビニで買うことが出来ました。


しかし、中学生。遊びたい年頃です。私は一度だけ友達と土曜日遊びの約束をしたのです。


そしたら両親共々大激怒。父親には殴られました。

なぜ遊びにいくのがいけない事なのか私にはわからなかった。


中学生の時はお盆やお正月が大嫌いでした。

何かしら父親とトラブルになりそのたびに殴られるのです。


こんな人生嫌だ思いながらも八つ当たりも出来ず、行き着いたのはリスカでした。その跡は今でも腕にあります。

これしか縋れなかったのです。


高校に上がるときも大変でした。

定時制に行くと決めたのですが、親は僅か600円の受験料すらぐちぐち文句を言っていました。入学金の1万くらいも文句の、嵐。


そして私自身も決めていましたがアルバイトも当然する事に。


今思えばアルバイトなんてしなきゃ良かった。


初めて自分で働いて、頂いたお給料。

全て親に持ってかれました。

長くなるので割愛しますがほぼ毎月のことでした。


そして父と顔を合わせる度に殴られる。

一 酷かったのは母親がいないとき、父親に包丁を突きつけられた時でしたね。

まぁ私は休みなく、毎日アルバイトし、お金は持ってかれるし、殴られるし、疲れてました。高校に上がってから原因不明の頭痛も毎日ありました。

だから、死んでもいいと思いました。


だって、もうこの人達に、私は必要ないから。


私が中学2年生のとき、二人は子供も作ったのです。


だからいっそ殺してお前ら全員不幸になればいいと思いました。


まぁ

結果生きてますがね。


父親と言っても赤の他人の男に犯すぞと母親の前で言われ、母親は止めもせず、私が唯一抵抗した出来事もありました。


暴力はエスカレートし、最終的には父親は、タオルを手に巻いて私を殴るのです。タオルは血まみれです。

母親も殴られてました。なんでこんな男といるの?と毎日思ってた。



まだまだ長くなりそうなのでまた明日にでも。